草加市と言えば、皆さんは一番はじめに何が思い浮かぶでしょうか?きっと草加煎餅を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
このページではそんな草加煎餅について、草加煎餅とは一体どんなものなのか?を調べてみました。
草加煎餅とは
草加煎餅の一番の特徴と言えば何よりもそのパリッとした食感、これはうるち米が原料の固焼きのためです。
噛むごとに醤油の香りが広がる素朴な味も人気のひとつで、代表的なものは醤油味ですが今では醤油味だけでなく味噌・海苔・唐辛子・ザラメなど沢山の種類が販売されています。私の個人的なおすすめは味噌味です。味がしっかりとしみ込んでいてとてもおいしいのでぜひ食べてみて下さい。
発祥についてはいくつかありますが、一番多く語り継がれているのが「おせんさん」という人物が日光街道の草加宿にあった茶屋で売り出した団子の売れ残りを平たく伸ばして焼いた事が始まりと言われています。
草加駅東口にはおせんさんの銅像、旧日光街道草加宿の端にはおせん公園と言う草加煎餅発祥の地碑が建っている公園があり地元の人だけでなく観光客の方にも親しまれています。
【おせん公園】
【草加煎餅発祥の地碑】
しかしこの説は実は昭和時代に作られた物語らしく
本当の歴史については下記が正しいとされているそうなので簡単にご紹介致します。
本当の草加煎餅の歴史とは?
草加市では昔から多くの米がとれたことから、余った米を保存するために米を団子状にしてから乾燥させ保存食としていたものを江戸時代に草加宿で販売したことから広まっていったと考えられています。
当初は記事に塩を練りこんだものでしたが醤油が普及し始めた幕末から焼いた煎餅に醤油を塗ったものが一般的になっていきました。
そんな煎餅ですがいつから草加煎餅と呼ばれるようになったのでしょうか。
そのきっかけは大正時代に川越で行われた特別大演習で、煎餅が埼玉の名産品として天皇に献上されたことにあります。
これが、天皇家が召し上がったおいしい草加の煎餅「草加煎餅」として広まっていきました。
昭和に入り、太平洋戦争の激化から材料の米が手に入らず煎餅屋が次々に倒産。煎餅産業にとって厳しい時期が続きましたが、厳しい中でも技術の伝承を途切れさせなかったことが幸いし、高度経済成長期の昭和30年代には駅やデパートでの即売会等で草加煎餅の知名度は一気に上がりました。
しかし知名度が上がれば悪い影響もあり、異なる製法によるものに草加煎餅の名を付けて販売する業者が日本全国で横行したためこの状況を打破すべく草加市と煎餅業者が「地域団体商標」を登録し、これにより草加煎餅のブランドが守られるようになりました。
さらに詳しく知りたい方は草加市のサイトをご覧ください。
参考文献:草加せんべいの歴史と現在